いつか、つながる。

Connecting dots, random insightsとその記録。時にロンドン関連情報など。主に日本語のリハビリのため。支離滅裂にならないよう努力します!

電車の旅 本日はユーロスターからお届けします

f:id:kokobeatrice:20190626203211j:image

 

ホリデー ♩

ロンドンからドイツのケルンまで電車での旅中です。

 

ただ今トンネルを越えてフランスを突っ走ってるところ、ランチも食べて昼からワインでほろ酔いで気持ちいい。

いやあ、電車っていいですね!

電車の旅の良いところの覚え書きです。

 

* 空港に行かなくていい(あたり前か^_^)

* セキュリティが早い。

* 液体制限が無い。

* シートベルト着用しなくていい。

* トイレが広い。

* 乱気流がない(あったら怖い)

 

ロンドンのセントパンクラス駅までうちから20分、駅でチケットをスキャンして電車に乗るまで約25分(セキュリティも、イミグレも含めて)こら早いわ。・・・あ、そうこうしてる間にリールに着いた、私が携帯でブログ書くより 早いやないか 😀 

 

ブリュッセルで乗り過ごさないようにしないと。

 

続く 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歳をとるにつれて時と場合で選ぶようになるもの

f:id:kokobeatrice:20190623183653j:plain

色付きフィルター

 

 

今週のお題「わたしの好きな色」

 

好きな色ってかなりアバウトなお題ですね。

何の好きな色かにもよりますし。

着る服なら圧倒的に黒が多いし。でも夏は明るめの色も着るし。

車なら恐らく黄色を選ぶだろうし*1

家具なら白、口紅はピンク系、でも秋になればそれも濃くなるかも。

 

色眼鏡、フィルター、人生薔薇色・・・。

内面世界が世界観にも影響するってことですよね。

世界が何色に見えるか。

 

 

色から若干外れますが例えば音楽。

昔なら、四六時中好きなミュージシャンの音楽が聴けた。それこそ寝ても覚めても

 

でも今はいくら好きでも朝からアマンダ・パーマーの 「There is no intermission」は

聴けない*2

 

朝からジャズも避けたい。できればラテン系かポップスで1日は始めたい。

日中は何でもOKだけど大体Audibleで耳読書したりPodcastを聞いてることが多いし。

夜のご飯はSpotifyのディナープレイリストをかけたり。

 

かなり音楽を使い分けている。

 

色も同じくそんな感じで好きな色というよりその時にどういう気分になりたいかで

決めていることが多い。

 

これを外からの影響に弱くなっているとみるか、

歳をとって拘りがいい具合に無くなって臨機応変に物事に応じることが

できる様になってきたと捉えるかは個人の自由!

 

 

*1:持ってない。ちなみに免許も無し 笑

*2:超オススメ!ただ夜ワイン片手に始めから最後まで通しで聞くべし!

Amanda Palmer | There Will Be No Intermission

大阪弁と私

 

f:id:kokobeatrice:20190622064401j:plain

言わずもがなの

 

 

 

変なタイトルですみません。

 

 

今回はブログを書いてる時の頭の中の言葉の葛藤について書いてみます。

 

何のジレンマか?

 

普段日本語よりも英語を話している事の方が多い環境なのでなかなか

うまい日本語の表現が見つからない(というより忘れてることが多い、四字熟語とか無残)というのが 一つ。

 

 

でも私の中での1番の葛藤は標準語*1大阪弁

 

自分で書きながらのセルフ・ツッコミはもちろんのこと(これはもちろん大阪弁

「ちょっとちゃうなー」、「全然おもろないなー」など)

 

真面目に書きたい事は何故か大阪弁では伝わらないという観念があるのか、かしこまっ

て書くのでちょっと痒い感じ(何気取ってんねん)

 

関西の方なら(または他の地方でもあるのかな?)わかると思いますが

 昔小中学校で国語の時間に先生に当てられて

 「XXページのXX行目から読め」と言われて

 朗読する時に関西風のイントネーションで行くか、それともTVのアナウンサーみたいに標準語風に読むかで悩んだことはないですか?

 

ちょっとあの感じに似てなくもないような。

 

 

 

19歳でロンドンに来た時に初めて関西出身以外の日本人の人達とお友達になって

 「あかん、これはちゃんと標準語喋らな」と大阪弁を堪えて標準語で話していた私。

 

その後子供を産んだりしてやっぱりちゃんと母国語(=大阪弁)で子供と喋りたい、

 「これは大阪弁のリハビリが必要!」と大阪弁に戻したのでそれからはずっと大阪弁

メインになっているけど。

 

イギリスに来たての時に見て印象に残ったのはアニー・レノックス(元ユーリズミックス)のインタビュー。

 

ja.wikipedia.org

・・・めちゃくちゃ訛ってる! 

 

(あんなに綺麗のに!ってこれは関係ないか 笑)

 

気づくとここでは訛りを隠してる人は少ないような。

まあ、隠す必要はないからだけど。

 

どうやったら葛藤なしに、自分にツッコミ無しに言葉がどんどん湧き出るようになるのかな?

 

この壁をなんとかぶち壊したい、超えたい、すり抜けたい。

 

どんな言葉でもいいから自分を自由に表現できるようになりたい!

 

・・・と色んな人が生き生き、のびのび、スラスラ書いているブログを読んで



インスパイアされてる日々です。

 

やっぱどんどん書く事やろね・・・。

 

 

 

 

 

 

*1:らしきもの、おそらくそれでもかなり関西弁かもしれない 笑

ライフコーチングのセッションが終わった・・・。

先週8回目の最後のセッションが終わった。短かったような、長かったような。

 

毎週一回ホテルのカフェで待ち合わせて(1度はスカイプもあったけど)1時間のセッション。自分の考えてること、悩んでること、したいことを話す。ぽろっと出た話題から深い会話になったり思いがけないこともあった。「聞き」のプロ(カウンセラーとかセラピストとか)と話をしたのは初めてだったので始めは緊張したけどいい経験だったなあ、と思う。

 

コーチへの推薦文も書き終わったので自分でも成果と気づきをまとめて残しておこう。

 

詳しいことはちゃんとつっこんで書いてみたいのでとりあえず今日は覚え書きまで。

  • とにかく自分の感情、思ったこと、プライベートなことを他人に話したこと、なかなか話せないタイプなので。その清々しさ、フィルターをどんどん外して行くことの勇気とか。
  • 自分について今まで気づかなかったことで気づいたこと。
  • 具体的な行動の変化。
  • 目的。
  • 自分が何に価値を置いているか。
  • 新しくやり始めたこと(このブログとか)
  • 自己妨害観念(何て言うのかな? self limiting belief) 
  • 知識と行動のギャップ。その気づき。
  • 昔の恋人に思ってたことを正直に言ったこと(これは絶対自分からはしなかったこと!)
  • 他人からの批判へどう反応するかのシミュレーション
  • 本当に好きなことは何かと思い出したり。
  • 仕事への認識の変化。感謝。
  • まわりとの繋がりについて。ご近所さん、コミュニティ、職場、Twitterとか。
  • Creativityについてのバリア。
  • もっと自分でいることへの開きなおり(!?)

 

他にもまだありそう、ちょっと寝て考えます。

 

 

 

 

 

 

 

見ること。漠然と、または集中して @テートモダン

 

f:id:kokobeatrice:20190613052241p:plain

Eine Kleine Nachtmusik 1943 Dorothea Tanning

https://www.tate.org.uk/art/artworks/tanning-eine-kleine-nachtmusik-t07346

 

テート・モダンのドロテア・タニング展に行って来た*1終わる前にもう一度見たいと思って結局2回見に行った。

 

ドロテア・タニングって画家として一般的に知られてるんだろうか。テートモダンの中にある絵の中では私が特に好きな絵を描いた女性。

このブログ↓にすごくコンパクトに説明されている。しかも展示にあった絵もたくさん含まれてるので興味ある方はどうぞ。

blog.livedoor.jp

 

個人的にアートムーブメントの中でシュルレアリスムが一番好きだな*2と思ってたのでドロテア・タニングもシュルレアリズム画集で見て知っていたけどこんなに長生きで(101歳!)色んな作風のあった人だったとは知らなかった。

 

シュルレアリスムの権威マックスエルンストと結婚してたとはいえ彼が亡くなってからもどんどん作風を変えて(変わって?)活動を続けた*3 ドロテアタニングはカッコイイと思う。

 

今回の回顧展で見て惹かれた絵は数多くあったけど

意外と「色!」「形なし!」「何だろう、これ!」の抽象的な絵に惹かれた。

 

 

特に大きな絵、目の前に立って見上げて首を傾げながら眺めることができる絵、視覚が麻痺するほど圧倒される絵。イメージが何層にも重なっていてだまし絵のように色んなものが浮かび上がってくる絵。見る角度を変えると色も変わるし見る方の気分で意味も変わるんだろうと思う。

On Avalonは3年かけて描かれた。描いてる間に何度も変容して描いてる画家自身が何が出てくるかわからなかったそう。アーティストが媒介だなと思ういい例。あるいはコラボレーターと言った方がいいかな。

 

絵を見ることのピュアな悦びもさながら見ている間もギャラリーを出てからもなんとも気持ちよかった。頭の中がスッキリしたような、ヘッドスペースが広がったような。何でかなとちょっと考えてみた。

 

一つのものに意を注ぐことの心地よさとでも言うのかな、超シングル・タスキング(マルチ・タスキングの反対)。思考力を停止して感じることに力を注ぐこと。不可解にひたる気持ちよさ。美しいものに身を委ねて呑み込まれること。以前はわからない絵を見るとひたすら理解しようと思って評論家の解説を読んだりしていたけれど結局アートに向き合うのは1対1だから周りからの影響はできるだけ除外した方が気持ちいい。

 

あとは大きなものを見ること、これに尽きる!森に行って木を見たり自然とふれあうことにも近い。今の私たち毎日小さいスクリーンばかり見てるからね。

  

絵画でも、音楽でも何でもいいけどとにかく、小さなエゴにとらわれない、集中力と、注意力を一つのものに一定の時間注ぐ行為の大切さ。

坐禅もそれに通じるけど小さな自分(Mini Me ですね)から抜け出てもっと大きな自分と繋がる行為をすること。

 

大事だなと思う。

 

*1:ちょっと時間が経ってしまった、この展示はもう終了しています

*2:でも最近ちょっと思い直してる。今の空気かな、それとも自分が歳取ったからかな。こないだも別の展示でハンスベルメールのウニカツゥルンのボンレスハムさながらの緊縛写真

https://brooklynrail.org/2012/05/artseen/bound-hans-bellmer-and-unica-zrn

を見てちょっと不快になった。男性アーティストが女性を崇めてMuseに仕立て上げてインスピレーションにした作品は数多い。女性蔑視とまではいかなくても男性優位の傾向がかなりあったんじゃないかと思う。ピカソのドラマール然り、マンレイのリーミラー、マンディアルグのボナとか。別にそれがどうしたということは無くて今まではあまりそういう観点で考えなかったのも不思議だなと独りごちてみた

*3:ここで思い出す、YOKO ONO、ローリーアンダーソン!

チープワイン

f:id:kokobeatrice:20190609052802j:plain


今週のお題「家で飲む」

 

なら、チープワイン。

ワインは好きだけど味はあまりわからない。

判断基準は飲みやすいか、飲みにくいか。

で、飲みやすいワインが私には良いワインとなる。

どこのシャトーの、何年もの、でなんという葡萄か、あまり関係ない。

ソムリエの方、すみません。

 

ワインと言えば思い出す映画の1シーン。

タンポポ」1985年作 伊丹十三監督

www.youtube.com

 

私もこんなもんだ。でもなんでワインに詳しいのに優越感(または詳しくないのに劣等感)を覚えるのか。

主観的な味覚というものをトレーニングで鍛えて その感覚が職業になるということの価値かな。

 

他に鍛えることのできる五感は何だろう。

視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚。

鑑定士、調香師、ミシュランレストラン判定家(職業か?)とか。

江戸川乱歩の「盲獣」は確か触覚が超発達していた(これは自ずと鍛えられて、かな)

 

鍛えることで自慢(!?)になる感覚は他に何があるか。

既視感、霊感、直感、第六感・・・。

 

果たして私が自慢できる感覚はあるだろうか。

 

 

 

 

 

 

うち飲みからかなり外れた(笑)

 

 

 

 

 

迷いと決断(仮)

 

これまでの人生で色々な選択をしてきたけれでも「迷いなしの決断」と「迷いに迷った決断」と何が違うのかなと思う。17歳で迷い無しに大学に行かないと決めた時と40で迷いに迷って大学に行くことにした時について思い返してみた。

 

17歳の迷い無き容赦無き決断

「アホらし・・・大学なんか行っても意味ないんちゃうか!?(独り言)」

大学に行かない決断は一晩で決まった。徹夜で見た「朝まで生テレビ」(だったはず、夜中の討論番組)テーマは「これからの大学を考える(不確か、なんせ30年も前の話だから)」志望大学の教授が出演してたからまあありがたい言葉でも聞いて少しでも受験勉強の気合いになればと思って見たものの、お偉い教授達のお粗末な意見と大人同士の討論のレベルの低さにがっかりしただけだった。

 

17歳の多感で衝動的な脳みそに迷う余地はなかった。もちろん入試にも受かってもない(希望国立大やし、受かるかどうかもわからん)大学に行った訳でもないのに、高飛車に勝手に大学教育に愛想を尽かして下した結論は

「自分で勉強した方がまし」

外大で英語の勉強したかったからとりあえずイギリス*1 に行こうと決めた。

 

進路相談では「大学には行きません、イギリスに行きます」とだけ伝えた。

「留学か?」「いやうちそんなお金ないんで、遊学です」

次の日即バイトを見つけて働き出した。周りが受験勉強に明け暮れる中、学校が終わると毎日夜遅くまでバイト。自分のしたい事のためだったからとにかく楽しかった。

 

ネットがまだなかった時代*2 、どこから調べてきたのかボランティア留学という語学留学と英国の施設で仕事しながら日常会話を学ぶというプログラム*3 を見つけて早速申し込み、イギリス英語のレッスンも始めた。

貯金達成には1年ほどずれが出て一浪と同じ年齢になったけど19歳で知り合いもいないイギリスに一人で来てただひたすら勉強に励んだ。*4

 

  

40歳からの迷いありの決断 

「今更大学に行ってどうなるの?」(同僚の言葉)

 

・・・「うーん。確かに、ま、そうやけど」

 

周りからの反応にめげそうになり決心が緩みそうになったのでそれからは水面下で動いて目出度く大学に入学。*5 その後4年間社会人学生として勉強した経験はかけがいのないもの。今でも思い切って決断してよかったと思う。

 

17の時の大学に行かないという決断に比べるとそれから20年以上経った後の「大学に行こう!」という決断には時間がかかった。したいのに迷う、行きたいのに言い訳を見つける。なぜだろう?

年を取っていたから?周りを気にしてたから?若い人達に混じって勉強する自信がなかった?それとも何かを「しない」ということと「する」ことの違い?

 

いや多分、「軸」が違うんだと思う。

決心の、決断の、判断の。40で大学に行こうと思った時には周りの事を気にしてないつもりでもかなり気にしてる自分がいた。

よく若い頃のやんちゃを思い出して「よう恥ずかしげもなくあんなことできたわ、今やったら絶対できへん、ほんま若い頃はあほやった」なんて言う人がいるけれども的外れな感想じゃないかと思う。若い時の「恥ずかしげの無さ」、潔さ、向こう見ずさ、いい加減さ、 冒険心、遊びココロがあったからこそ出来た決断もたくさんあると思う。

 

今となって思うこと。

決断が難しいときは決めない。迷う時は無理に決めずに寝かせる。あと、他人の意見は実はあまり聞かない方がいい。 

 

迷いは外から、決断は中から、それを見極める事、それが大事。超シンプル。

 

人生まだまだ長いからこれからどんな迷いがあってどんな決断をしていくのか楽しみにして生きていきたい。

 

 

*1:ケンラッセル!ピーターグリーナウェイエコバニ!4AD!の高校生だったから

*2:なんか「戦前はね」に響きが近い感じがしなくもなく・・・。だってそんな時代もう今から想像しがたい!

*3:今もまだある!その節はお世話になりました http://tomo-tokyo.co.jp/eg/eg.htmlhttp://tomo-tokyo.co.jp/eg/eg.html

*4:こはちょっと大げさ、笑

*5:社会人学生に大学入試なるものはない、ただし入るのは楽、出るのが難